旅行部レポ 特攻隊慰霊ツアー

特攻隊慰霊ツアー
歴史

産経新聞社主催の特攻隊慰霊ツアー(特攻隊戦没者慰霊顕彰会後援)が9月3~4日の両日、鹿児島県内で行われた。20年以上前から元特攻隊員、遺族への取材を続けてきた宮本雅史・産経新聞編集委員が案内役を務め、一般的にはあまり知られていない慰霊碑や特攻施設跡地など計10カ所をめぐった。2日間で約330キロを走破したが、参加者は最後まで疲れを見せず、犠牲となった若者たちを慰霊していた。

産経新聞社主催の特攻隊慰霊ツアー(特攻隊戦没者慰霊顕彰会後援)が9月3~4日の両日、鹿児島県内で行われた。20年以上前から元特攻隊員、遺族への取材を続けてきた宮本雅史・産経新聞編集委員が案内役を務め、一般的にはあまり知られていない慰霊碑や特攻施設跡地など計10カ所をめぐった。2日間で約330キロを走破したが、参加者は最後まで疲れを見せず、犠牲となった若者たちを慰霊していた。

 

9月3日午前、最初に向かったのは南九州市の知覧特攻平和会館だ。平和会館内には沖縄戦で戦死した1036人の陸軍特攻隊員の遺影が飾られており、この日も全国から多くの来館者が訪れていた。
1036人の遺影を集めたのは平和会館の初代館長で元特攻隊員、板津忠正さん(平成27年4月6日死去、享年90)である。私財をなげうって800人以上の遺族に会い、終戦後実に49年かかって遺影を集めた板津さんは、まさに「知覧の顔」だった。
宮本編集委員は板津さんが生前、「特攻隊の死について戦後、『犬死にだった』といった偏見が多くなった。冒涜(ぼうとく)するようなことを平気でいう人もいた。それが許せなかった」と語っていたことに触れ、「特攻隊がいたという事実、そしてその死を後世に長く語り継いでいくのがわれわれの役割、使命である」と強調した。
知覧では、平和会館から少し離れた林の中にある三角兵舎跡地、「特攻の母」で知られる鳥浜トメさんの食堂を復元した「富屋食堂」(写真)なども訪問し、出撃を目前に控えた特攻隊員たちの気持ちに向き合った。

 

「特攻隊といえば知覧」といわれるほど知覧の知名度は高いが、実は鹿児島県内には22カ所もの特攻基地があったことはあまり知られていない。
ツアー一行が次に向かったのは、知覧特攻平和会館から北西に約20キロ、東シナ海に面する南さつま市の万世特攻平和祈念館だ。
万世には終戦間際の4カ月しか使用されなかった陸軍の万世飛行場があった。同飛行場は昭和19年末に完成したが「秘匿飛行場」としてその存在が隠され、「幻の特攻基地」の異名を持つ。少年飛行兵ら200人近い特攻隊員が沖縄方面に出撃している。
知覧に比べ、万世の特攻平和祈念館の来館者数は少ないが、内容は充実しており、吹上浜沖から引き揚げられた日本に1機しかない「零式三座水上偵察機」が展示されている。外観も少年飛行兵の練習機をモチーフにした斬新な「赤とんぼ」のデザインだ(写真)。
特攻隊の話になると、必ず紹介される「子犬を抱いた特攻隊員」の写真は実は知覧ではなく、この万世飛行場の作戦指揮所壕前で撮影されたものである。なお、この事実は平成5年ごろに明らかになった。
平和祈念館では、一行が“語り部”の出迎えを受け、詳細な解説を聞いた。「よろずよに」と刻まれた慰霊碑の前では、多くの参加者が静かに頭を垂れていた。

 

2日目はバスごとフェリーに乗り込み、薩摩半島の反対側である大隅半島に移動した。まず訪れたのは、鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋航空基地の史料館だ。
史料館は昭和11年の鹿屋海軍航空隊発足以来の歴史を詳細に伝えており、残骸から復元した零戦(五二型)(写真)を見るために訪れる人も多いという。
知覧と同様、鹿屋からも多くの特攻隊員が沖縄に向けて出撃しており、その数は908人に上る。一行は海上自衛隊でパイロットだった館員の詳しい解説に夢中となり、特攻隊員たちの足跡を再確認した。
2日目はあいにくの雨模様だったが予定通り、昭和33年に建立された小塚公園の慰霊塔、人間爆弾と呼ばれた特攻兵器「桜花」に乗り込む隊員が、水盃を交わした地点にある「桜花の碑」、特攻隊員の宿舎となった野里国民学校跡地、特攻隊員が突撃前に最後に送る電信(モールス信号)を受け取っていた海軍航空隊串良基地跡地下壕第1電信室を見学した。
いずれも、一般の観光客がなかなか訪れない場所ばかりだが、参加者の興味は尽きず、熱心に碑や解説表示板を読み込み、写真を撮るなどしていた。

 

鹿屋市内の和菓子店「薩摩菓子所 富久屋」では、海軍特攻隊員が機内で味わったという甘味「海軍タルト」(写真)を味わった。
富久屋は戦前、海軍から支給された砂糖などを原料に菓子を作って基地に納めていた。同店女将の北村馨さん(78)は5歳のころ、父親と一緒に特攻隊員を見送った経験を持つ。今も「特攻隊員たちが白いマフラーをなびかせていた姿」(馨さん)を鮮明に覚えている。
昨年秋、親族が集まった際にタルトの存在が判明し、関係者らの証言を基に再現した。小豆を使ったあんをスポンジで包み、機内で片手で食べられるように細長い形状をしているのが特徴だ。
一行は海軍タルトを味わいながら、出撃した特攻隊員にたちの思いをかみしめた。

宮本編集委員は「われわれは国を思って散華した特攻隊の事実を語り継いでいかなければならない」と訴えた上で、「特攻という作戦自体、美化されるべきものではない。英霊の思いはそれほど単純なものではない。純粋に国を思い、出撃した若者たちの心情を忘れてはいけない」と述べた。
参加者からは「深く考えさせられる旅行だった」「特攻隊員のおかげで、今の日本がある」「宮本編集委員の熱い話にとても感動した。遺族に寄り添うことが大切だ」といった感想が寄せられた。

海軍航空隊串良航空基地跡に残る地下壕第一電信室。特攻隊員が突撃直前の最後に送るモールス信号を受信していた(鹿児島県鹿屋市)
特攻兵器「桜花」の搭乗員が別れの盃を交わした地点に建つ「桜花の碑」(鹿児島県鹿屋市)
花瀬望比公園にある母子像。「望比」とは、「比(フィリピン)を望む」という意味で、フィリピン戦線で戦死した47万6000人余りの冥福を祈る場所だ。(鹿児島県指宿市)
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